• こちらがEL AL航空の機体

未知の国イスラエルへの旅① ~番外編~

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行ってきました未知の国、イスラエル

この2週間、イスラエルはエルサレム(英語表記:Jerusalem)という所に旅行に行って来ました。

というのは私の旦那さんはユダヤ系アメリカ人で姪っ子ちゃん家族がエルサレムに居るので会いに。

 

今回姪っ子ちゃんに会いにエルサレムに行くよって言われた時にまずイスラエルってどこだっけ?

シリアとか近い?けど危なく無いの?などなど日本人には余り馴染みが無い国だったので正直複雑

な気分でした。

 

イスラエルは首都がエルサレムで国土面積が約22万平方キロメートル、ほぼ四国と同じ面積。

人口の75%がユダヤ人、残りがアラブ系と言われています。

 

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事前に歴史や背景を少し復習してから行こうと思っていたものの前日までバタバタ(←これ言い訳 )

していたのもあって浅い知識のまま行く事に。

 

しか~し行って見たら意外や意外!

 

紀元前に建てられた歴史的な建造物等見どころ満載だし、ユダヤ教への深い信仰や日々祈りと共にある

人々の姿、また大都市として発展している近代的なテルアビブの街並み等々素晴らしい所だったのです。

 

行く前は危険な国というイメージ、友人にも行って大丈夫なの?危険なんじゃないの?と散々言われて

訪問に至った訳ですが実際に行って見て180度印象が変わりました。

 

やっぱり現地に行かないと分からないものですね。

 

また日本人には2週間居た中で1人しか会わずアジア人の私は特にエルサレムで子供達に穴の開く程

奇異な目で見られ(笑)、また行く所行く所でどこから来たのか、何故日本人はこの素晴らしい国に

来ないのかと何度も聞かれました。それ位に日本人が居ないんだなと。

 

因みに中国人の団体客には多く遭遇しました

実は中国とユダヤ教って繋がっていたんですねえ。

(歴史博物館で中国のハルピンにユダヤ教の教会(シナゴーグ)があったという説明が)

そういう背景もあって来ているのかなあと。勝手な想像ですが・・・。

 

まだまだ日本人には馴染みの無いイスラエルという国を少しでも知って頂きたく、自分の見たもの経験

したものの一部を皆さまにお伝え出来ればなと思っています。

 

ユダヤ人の人口ってどれくらい?

先述した様に私の旦那さんの祖先はヨーロッパからのユダヤ移民です。

旦那さんの父方の曾祖父、曾祖母がオーストリアから母方の曾祖父、曾祖母がポーランドから

第一次世界大戦前にアメリカに渡り、ニューヨークに定住。

 

旦那さんの周りもロシア系、フランス系等様々な国から移民して来た祖先を持つ友人が多くいます。

 

世界のユダヤ人の総人口は2014年の集計で約1,500万人、そのうち約614万人(全体の40%)、

がイスラエルに、543万人(全体の36%)がアメリカに100万人(全体の7%)がロシアに

住んでいます。イスラエルとアメリカの2か国にほぼ集中しているんですよね。

 

またさらに詳しく調べるとユダヤ人系アメリカ人は多くはニューヨーク都市圏、ボストン都市圏に次い

でワシントンDC、南フロリダ、ロサンゼルス、サンフランシスコに集中しています。

 

無知な私は初め、ナチスの迫害から逃れる為に多くはポーランドからユダヤ人がアメリカに渡って来た

という浅い知識しか無い中で今回改めてイスラエルを訪問し、色々なサイトで背景を読み、初めて

もっと前から様々な歴史的理由によってアメリカに渡って来たのだという事を知りました。

 

少し前置きが長くなりますが旅の話をする前にアメリカに移民したユダヤ人の歴史について触れたい

と思います。

 

長い年月に渡るユダヤ人のアメリカ移民の歴史 

※下記の情報はウィキペディアより抜粋

◆スペイン系ユダヤ人(セファルディム)

ユダヤ人の移民の歴史は古代ローマ帝国の時代から始まったと言われています。

紀元前1世紀頃、古代ローマ帝国を支配していたティトゥスがパレスチナにいたユダヤ人を徹底的に

迫害し、多くのユダヤ人がスペインやポルトガルに移民しました。

スペインに移住したユダヤ人をセファルディム(ヘブライ語でスペインを意味する)と呼びます。

 

しかし14世紀頃にキリスト教の勢力が強まり、再びユダヤ人の迫害が始まり、改宗を迫られる事に。

こうした中、1492年にスペイン人のコロンブスがアメリカ大陸を発見した事でスペインに定住する

ユダヤ人に吉報をもたらせます。こぞって南アメリカを目指し、彼らは新しい土地で銅・スズ・鉄等の

開発を行い、巨万の富を得て成功します。ところがこれを聞きつけた追い出したはずのスペイン、

ポルトガルはユダヤ人の大きな業績の成功を奪取すべく今度は南米から追放させてしまうのです。

 

この迫害を逃れる為に行き着いたのがアメリカのサウスカロライナ州のチャールストンという場所でした。

 

◇ドイツ系ユダヤ人(アシュケナージ)

1848年に起こったヨーロッパの革命(総称:ドイツ革命)をきっかけにドイツや東欧諸国に定住して

いたユダヤ人が多く逃れる為にアメリカに渡って来ました。

ドイツ・東欧諸国系のユダヤ人をアシュケナージ(ヘブライ語でドイツを意味する)と呼びます。

 

このドイツ系のアシュケナージの人々は教養が高く、信仰がそれほどストイックでは無かった為、早くから

英語を習得し、アメリカに溶け込んだと言われています。

 

また母国のドイツやヨーロッパン諸国の資本を武器に綿花、鉄道、土地開発、金融系にビジネス展開を行い、

成功を収めて行きます。

誰もが知っている大手投資銀行のゴールドマン・サックス、デパートのニーマン・マーカスや

ブルーミングデールズといった企業は全てドイツ系ユダヤ人がアメリカに渡って始めて成功したのです。

 

◆ロシア系ユダヤ人

次に1880年代にロシアで起きたユダヤ人迫害を逃れてポーランド、リトアニア、ベラルーシといった

非常に貧しい地域から移民したロシア系ユダヤ人でした。

 

彼らは非常に敬虔なユダヤ教徒でニューヨークに最大のコミュニティを形成します。

イーディッシュ語(ドイツ語に近いアシュケナージ系ユダヤ人が話す言語)のみを話し、ドイツ系の

ユダヤ人とは反対に誰とも交わらず独特のコミュニティを広げて行きました。

 

◇ナチス迫害による移民

1933年にナチス・ドイツが形成されるとヒットラーによるユダヤ人迫害を起こり、それを逃れる

為にドイツやオーストリアから約25万人がアメリカに移民。

 

この事は私達日本人は知っている話ですよね。

 

こうした歴史的な迫害に遭いながらユダヤ人がアメリカは主に東海岸地域に集中して移民しました。

 

1848年には5万人だったのが1900年初頭には300万人まで膨れ上がったと言われています。

 

こうして見て行くとユダヤ人の迫害、追放の歴史って長い年月に渡って来た事が良く分かりますし、

そこを不屈の精神で生き抜いてきた、ビジネスを拡大して来たという中に強い精神力を非常に感じます。

 

14時間の長時間フライト 

さてかな~り前置きが長くなりましたが今回私達は唯一ロサンゼルスからテルアビブに直行便を

飛ばしているEL AL Israel Airline (エルアル航空)というイスラエルの航空会社を利用。

 

まず日本人には馴染みが無いというか私は今回行くまで全くこの航空会社の存在を知りませんでした。

どこそれ?って言うのとイスラエル航空?大丈夫ちゃんと飛ぶの?ってある意味結構不安が・・・

 

午後1時発テルアビブ行き6便。定刻通り出発。

 

◇ EL AL 航空に興味のある方はこちらからどうぞ ↓ ↓ ↓

https://www.elal.com/en/About-ELAL/About-ELAL/Pages/default.aspx

 

 

こちらがEL AL航空の機体。

 

 

片道14時間強、それもちょっと古い機体。(ボーイング777-200ER)

ビジネスクラスはかなーり前の座席との間が広かったのにエコノミーはピッチがとにかく狭い!

 

こちらはファーストクラス。チラ見(笑)

 

前の座席との間がかなり広かったビジネスクラス。

 

圧迫感かなりあったエコノミークラス。

 

定刻通り出発。いよいよ14時間強の長時間フライトがスタート。

 

さあ映画でも観ましょと思って映画を選択して観始めたらなっなんと映画の早送り巻き戻しが出来ない!

なんじゃこれは~!

 

どの映画も選択するも途中からしか観れず、長時間フライトには映画が欠かせない私にはかなりの失望 

 

おまけに前のお客さんが思いっきりリクライニングするもんだから元々狭い座席なのにさらに狭くなって

圧迫感が半端ないし画面がかなり近い距離に来て目が疲れる疲れる 

 

もうこうなったら食事を楽しみにするしかないと思って気を取り直て離陸して待つ事1時間。

 

恐ろしく不愛想なCAさんに「Chicken or Beef」って何の料理だかも説明無く言われチキンを注文。

 

出て来たのは照り焼きチキン風の一品とカップに入ったお豆のペーストHummus(フムス)とピタパン。

お味の方はまあまあ。可もなく不可も無くって感じでした。

チキンよりフムスが美味しかったかなと(笑)

 

しか~しさらにがっかりだったのがエコノミーだったからなのか良くわかりませんが長時間フライト

の楽しみの一つであるアルコール類が全く無かった事!

 

水かフルーツジュースか炭酸飲料のみという何ともがっかりな内容・・・

 

離陸後にサービスされたチキンソテー。

 

 

こちらが添えられていたカップに入ったHummus(フムス)。

 

結局映画も1本観ただけで本を読んだり寝ようと試みたもののほぼ寝れず仕舞いで到着2時間前に。

そこに朝食が運ばれて来ました。

味の無いプレーンオムレツという非常にシンプルな朝食。

 

朝食の味の無いプレーンオムレツ。

 

機内の中でのびっくりな光景 

実はここまで長々と書いてきましたが今回このEL AL航空に乗ってびっくりした光景、これを皆さんに

お伝えしたかったんです。

 

すみません、前置きが長くて・・・。

 

日没と日の出にお祈りを複数の敬虔なユダヤ教徒の人達が集まってギャレイやトイレ前の空いたスペース

に集まって、聖書を片手にお祈りを始めた事なんです。

 

私は世界各地色んな国に行って様々な航空会社の飛行機を利用して来ていますがこんな不思議な光景に

出会った事がありませんでした。

 

それも独特のマントを羽織って頭には何やら四角い箱の様な物を額に巻き付けてみんなで一斉に歌の様

にも聞こえる言葉を身体を前後に激しく揺らしながらブツブツ唱え始めたのです。

 

これにはびっくりというか何が始まったのかと。

余り凝視するのも気が引けて座席の間の隙間から彼らの姿をずっと観察。

 

 

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↑ ↑ ↑

この様な恰好をした敬虔なユダヤ教徒達が機内の空いたスペースでお祈りを!

 

この光景に私はくぎ付けになり、行きの機内でユダヤ人に対する好奇心が一気に火がついてしまった

のです

 

さてイスラエルの旅のお話はこの辺で。

次回は一気に火が付いた好奇心の目で見た、経験したユダヤ教と共に生きる人々の姿についてお話し

たいと思います。

 

今日も覗いて頂き、ありがとうございました!

 

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